学ぶ(歴史・城跡・名所・人物) 安中城 1559年(永禄2年)安中氏の安中越前守忠政によって築城された。 江戸時代 古くから交通の要所の地。中山道には宿場町が4つ置かれ参勤交代の休憩所にも利用され栄えた。このころは安中藩が統治していた。 碓氷峠 ( うすいとうげ ) 関所跡 中山道を結ぶ横川の地に建てられた関所。関東入国の関所として重要視された。明治2年に廃関。現在では東門が復元されています。 赤穂 ( あこう ) 四十七義士像 上州の百姓として生まれた元助は、あの忠臣蔵で知られる赤穂義士・片岡源右衛門の下僕として使えた人物。浅野夫妻と四十七義士の供養のため、約20年の歳月をかけて四十七士義士像を彫り上げた。 明治時代 新島襄によるキリスト教の布教が行われる。安中教会は日本人の手で初めて作られた教会。 安中教会 1878年(明治11年)、30名が新島襄より洗礼を受け創設。群馬県最初の教会で、かつ日本人の手で作られた日本で最初の教会。 今ある安中教会教会堂は1918年に建てられました。「教会」とは建物を指すのではなく、共に祈る集まりのことを「教会」とよぶそうです。 新島襄 ( にいじまじょう ) 「平和の使い新島襄」で知られる明治初期の宗教家・教育家。 安中藩士の子として生まれ本名は新島 七五三太 ( しめた ) 。待望の男の子が生まれ祖父が「しめた」と喜んだところから名がつけられた。 成人した新島襄はアメリカへ密航し、のち岩倉使節団の通訳として行動。帰国後はキリストの布教や教育者として活動。「良心を手腕に運用する人物」を建学の目的として同志社英学校(のちの同志社大学)を創立。 NHK大河ドラマ「八重の桜」ではオダギリジョーが演じた。 「新島襄旧宅」は新島襄のゆかりの地。遺品や関係書類、写真などを展示しています。 めがね橋 昭和25年に作られたレンガ造りの4連アーチの橋。川底から31メートル。すべてがレンガ造りで、国重要文化財に指定されています。 碓氷製糸農業協同組合 日本最大の製糸工場。生糸の加工やオリジナルの絹製品を作成して販売してます。 温泉記号発祥の地 磯部温泉にある温泉記号が最古のものとなっており、温泉記号発祥の地となっています。
遊ぶ(観光地・イベント) 秋間梅林 ぐんま三大梅林の一つ。紅白梅3万5千本を超える梅林。梅林と一緒に眺める日本三大奇勝の一つ妙義山と遠くに見える浅間山は格別。 2月下旬~3月下旬が見頃。 妙義山 ( みょうぎさん ) 日本三大奇勝の一つ。火山活動により形成された奇妙な岩が独特の景色を作り出している。
食べる(名産・グルメ) 磯部せんべい 小麦粉と砂糖を主原料に鉱泉水を使用して薄く焼いたせんべい。サクッとした歯ごたえと口の中に甘みが広がり溶けてなくなるような舌触り。 磯部温泉の鉱泉水には炭酸ガスが多く含まれており、飲んでも体に良いと言われているよ。 峠の釜めし(おぎのや) 1958年に益子焼の土釜に入った駅弁「峠の釜めし」が誕生しました。陶器は保温性に優れていて、当時あたたかい駅弁は画期的でした。「あたたかく家庭的で楽しい駅弁」です。